氏家幹人『サムライとヤクザ』
ほかとはひと味違う武士研究を続けておられる氏家氏の新著(といっても、もう3ヶ月経ってしまった)。“「男」の来た道”という副題にある、括弧付きの「男」、すなわち格好つけの好きな「男」の系譜をたどろうという、意欲的な試みである。なかなか凝った構成になっており、プロローグ(著者と編集者の座談)でねらいが示され、エピローグで全体がまとめられる。極端に言えば、ここだけ読んでも著者のメッセージは伝わるようになっている。要するに、武士道なんてヤクザと大差ないよ、ということなのだが、それを歴史的に後づけようとするのが本書の眼目である。氏家氏の立場がヤクザを称揚するものでない事はいうまでもなく、むしろ武士道の礼賛に冷や水を浴びせようとしているのだ。
一章と九章が序論と結論として照応し、武士が戦う「男」の性質を喪失し、それを継承するものとしてヤクザが存在する状況が説明される。二章が江戸初期、三・四章が江戸前期、五・六章が江戸中期、七・八章が後期(末期)にあてられる。いつもながら、挙げられている豊富な事例には感嘆を禁じ得ない。もっともっと勉強しなければ、と(その時だけでも)思うのである。
もっとも、本書の試みが成功したかというと、疑問である。恐らくは、理論的な問題が残っているのだ。例えば「ヤクザ」とは何かという定義があまりはっきりしない。町奴、六尺、侠盗、博徒・・・彼らは「ヤクザ」なのかそうでないのか。「ヤクザ」でないとすればどこが違うのか、そして「ヤクザ」と歴史的にどうつながるのか。そのあたりがはっきりしないと、「サムライ」と「ヤクザ」を結ぶことができないだろう。そうした部分が具体的にならないと、義侠心・武勇・廉潔といった意識だけで系譜をつなげる任侠ファンと(価値付けは正反対であるとしても)大差ない事になりかねない。大まかな目の付け所は正しいと思うのだが、ちょっと拙速に過ぎたかな、というのが正直な感想である。まして、現代のアンダーワールドまで広げられても、勇み足ではありませんか、と思ってしまうのは私だけではあるまい。
武士の貴族化と、それへの反発。博徒を生み出す階層と行動原理。歴史学の立場から取り組む課題はたくさんありそうである。そんな問題を見つけるために、本書は読まれるべきであろう。
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Comments
大変ご無沙汰いたしております。久々の更新で嬉しい限りです。
小生は福田千鶴さんの『新編 御家騒動』を読んでいます。
氏家さんの本はやはり他とは違う、読みたくなる魅力があります。とはいえ、氏家さんらしい書き方でした。
Posted by: 南心 | December 29, 2007 at 11:24 PM
南心様
どうもご無沙汰して申し訳ありません。
死んだかと思われそうですのでUPしましたが(笑)、本当はもっと腰をすえて取り上げたい本です。
「おきらくごくらく」にも時々コメントしようとは思っているのですが、なかなか落ち着かなくって・・・。
Posted by: 長蘿堂 | December 30, 2007 at 11:06 PM