主君の仇討ちの少ない理由
「大河兼任」の言葉から、なんとか平安ころの武士が主君の敵を討った先例を探そうとしているのだが、どうもピッタリしたのが見つからない(古代・中世に詳しい方、御教示たまわれば幸甚です)。かわりに、といってはなんだが、主君の仇討ちの少ない理由がなんとなくわかったような気がしてきた。要するに、そんなシチュエーションがあまりないのだ。
合戦の中で主君が討ち死にするような場合、仇討ちをする候補者になるような武士はまず間違いなく運命を共にする。間違って生き残ったらそれこそ恥辱なのだ。佐伯経範(『今昔物語集』25)や樋口兼光(『平家物語』)の行動を見れば、明らか。まあ樋口が義経の首をとるような戦ができたら「敵討」にいれても貰えるだろうが、大将の討たれた負け戦ではほとんど起こりえない。死地に飛び込むようなやり方は「敵討」よりは「殉死」に近い。
そこまで殿様につきあう義理のない家来は、当然敵討ちなど思いもよるまい。気持ちのある武士が死に急ぎもせずに生きながらえるとすれば、先君の遺児を盛り立てようと言うような場合くらいではないか。この場合は、その遺児が親の敵を討ちに罷り出ることになるから、その手助けはするとしても、主君の仇討ちではないだろう。
と、まあこんな風に考えてみると、主君の仇討ちなどという現象はよほど色んな偶然が重なったレアケースということになる。そんなにピッタリとした例が見つからないのも仕方ないのかも知れない。そういえば、赤穂事件の場合だって本当に敵討ちと言えるのかという論争があった訳で、ピッタリした例ではないとも考えられるだろう。
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